小学生の頃の母のトラウマ

 

 

 

こんにちは、しゅりです。

今回は少しだけ私の小学生の頃の話を書こうと思います。

 

 

 

 

小学生の時から私は母が苦手でした。

気性が荒く、怒りっぽいからです。

 

父は口数の少ない人で、その頃は一緒に住んでいても顔を合わせることはほぼありませんでした。

 

毎日毎日、

家のキッチンを使う時も、トイレを使う時も、ご飯を食べる時も、母に話しかける時も、何をする時も母の顔色を伺っておそるおそるでした。

 

なにせ家にはたくさんのルールがあり、

その覚えている一部をあげてみると

 

① トイレを使った後は掃除してでてくる

②お風呂を最後に上がった人は浴室の水滴を全て拭き取ってでてくる

③ドライヤーした後は必ずコロコロ

④ご飯中は髪を触らない、足をブラブラしない

⑤家に友達をあげない

⑥お菓子は食べない買わない

⑦漫画、ゲームはやらない買わない

⑧母が帰ってくる前にお米を炊いてご飯用意をしてお風呂を洗っておく

⑨朝起きたら玄関水拭き

 

などなど

 

 

 

当たり前のことももちろんありますが、

幼い私には毎回できないこともあり、少しできないと怒鳴られたり蹴られたり髪を掴まれたりしたものです。

 

他にも母が掃除機をかけた直後に一本でも髪の毛が落ちているのを発見すると怒られたりもしましたが、どんなに理不尽に怒られても

「私が悪いんだ」

「私のためを思って怒ってくれているんだ」

と、心の底からそう信じていました。

 

 

怒り方が異常でその恐怖はとてつもなく強かったにも関わらず、

やはり幼い私の中では母が私の世界の全てであり、見捨てられたくない、愛して欲しいという気持ちがあったのでしょうね。

 

スーパーの中だって、幼い私にはとてつもなく広く、少しでも離れたら置いていかれると思って一生懸命ついていっていたのを覚えています。

ここではぐれたらこの世の終わり、くらいに思っていたかもしれません。笑

 

 

ある日友達の家に遊びに行った時に楽しそうに冗談を言い合ったりする友達家族を見て、ふと

「ああ、こんな家に生まれて来たかったなあ」

「自分は不幸なのだろうか」

 

と何度も思ったりしたけど、丁度その頃学校の社会で習った難民のことを思い出したりして

「私には寝るところがある、ご飯も食べれる」

と言い聞かせ、誰にも悩みを打ち明けることはありませんでした。

 

何をしてしまったのか、何をやらなかったのか、何が悪かったのかはもう覚えてないけど、

怒られない日なんてほぼなかったのを覚えています。

夜、ベッドの中で泣かない日なんて数えるくらいしかありませんでした。

 

泣き虫だったので、泣きたいわけじゃなくても怒られるたび勝手に涙が溢れて来て、

またそれがウザいのか

「泣けば済むとでも思ってるの?!」

と、また叩かれ、また悲しくなり、、、

 

 

そんな母でもたまに優しくなり、

「今日は何が食べたい?」

「一緒に図書館行く?」

と聞かれると、すごくすごくすごく嬉しくなってしまい、

その幸福感が大きいだけに、また何か失敗して怒らせてしまうんじゃないかとオドオドしていました。

その結果はまあ言わなくてもわかると思いますが。

 

まさに負の連鎖でした。

 

 

 

 

 

 

今日は疲れたのでもうこの辺で。

 

あの頃の私に、そんなに気を張らなくても大丈夫だよと伝えてあげたいです。弁護してあげたいです。

もう昔のことではありますがトラウマは残っています。

 

心の虐待は、さほど心配されません。

 

書くことで自分の気を晴らすと共に、こんな人もいるんだよっていうのを今まさに苦しんでいる人にも伝えられたらなあと思います。

 

 

 

こんな私でしたが今はとっても幸せなので、

 

あのとき死ななくてよかったなあと思います。

 

 

 

 

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